第10回大会:第1次審査 課題曲/曲目解説
■J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲 BWV1007~1012
ヨハン・ゼバスティアン・バッハ(1685~1750)の『無伴奏チェロ組曲』全6曲BWV1007~1012は、ヴァイオリンのための『6つのソナタとパルティータ』BWV1001~1006と並んで、弦楽器による無伴奏作品の最高峰であるに留まらず、「人類の遺産」と言い切っても、決して過言ではない。それまでは通奏低音をなぞることに甘んじていた、チェロの独奏楽器としての能力を極限まで追究。その一方、“神がかり的”とでも表現すべき気品にも満ち、古今のチェリストにとっては、まさに「聖書」のような存在であり続けている。
これら全6曲は、バッハがアンハルト=ケーテン候レオポルドの宮廷楽長を務めていた30代半ば、1720年頃に最終稿の形で完成。この同時期に作成された自筆による浄書の形で伝承している6つの無伴奏ヴァイオリン作品とは、対をなすように構想されたと考えられている。作品自体は、ケーテン宮廷楽団時代の同僚であり、チェロとヴィオラ・ダ・ガンバの名手で作曲家でもあった、クリスティアン・フェルディナント・アーベル(1663頃~1737)のために書かれたとの説が有力だが、結論には至っていない。
また、無伴奏ヴァイオリン作品と異なり、このチェロ組曲の自筆譜は現在、伝承していない。このため、最も信頼される“一次資料”となるのは、バッハの2番目の妻であるアンナ・マグダレーナ(1701~60)が、1727年から31年の間に作成した筆写譜(ベルリン国立図書館蔵)。さらに、バッハの信奉者であったオルガニストのヨハン・ペーター・ケルナー(1705~72)の手になる筆写譜(こちらもベルリン国立図書館蔵)も現存している。
全6曲は、すべてフランスを起源とする「古典組曲」の形式。冒頭に置かれたプレリュード(前奏曲)に始まって、アルマンド、クーラント、サラバンド、ブーレー(またはメヌエット、ガヴォット)、ジーグという5つの舞曲が連なっている。
このように同じ様式の枠組みの中にありながら、大らかな「第1番」、深い精神性を湛えた「第2番」、起伏に富んだ「第3番」、気品に満ちた「第4番」、荘厳な「第5番」、そして軽やかな「第6番」…と6曲それぞれが湛えているのは、全く異なる色彩。フルートで演奏する際にも、この色彩感の違いをいかに的確に捉えてゆけるか、がひとつの鍵となる。さらに、この作品が「難曲」たる所以は、たとえ音が実際に鳴っていなくても、ポリフォニーの「暗示」が必須であること。そのためには、拍節感とフレージングの絶妙なバランスと、和声に対する鋭い感覚も要求される。
■パガニーニ:24のカプリース Op.1
目にもとまらぬ超絶技巧と多彩な音色で人々の心を奪った19世紀を代表する名ヴァイオリニスト、ニコロ・パガニーニ(1782~1840)。
まさに彼こそが、アクロバティックな名人芸を求める時代が生んだ寵児であり、現代にも受け継がれる演奏技法に重きを置くことで、ヴァイオリン音楽の価値観を一変させたヴィルトゥオーゾであった。その美学の集大成とも言うべき存在が、38歳の時に出版した《24のカプリース》。複雑な重音やリコシェ(一つのストロークで弓を複数回バウンドさせる)やハーモニクス(弦の特定の箇所に軽く指を触れて管楽器的な澄んだ響きを出す)など、パガニーニが磨き上げた多彩な技巧が全篇に散りばめられている。
フルートでの演奏の場合、こうしたヴァイオリン特有の効果をどう“翻案”してゆくかが、各奏者のセンスに委ねられる。かたや、全24曲はそれぞれ、練習曲の体裁をとりつつ、舞曲や俗謡などあらゆるスタイルを網羅。作曲の動機や目的は不明ながら、出版直後から大きな反響を呼び、同時代の作曲家が挙って「カプリース」と名付けた曲を発表するほどの社会現象に。終曲の変奏曲は特に有名で、後にリストやラフマニノフらが、自作に主題を引用している。
解説:音楽ジャーナリスト・寺西肇