第10回大会:本選~音楽が始まる前の小さな 随想
響 敏也 /作家・音楽評論家
音楽が始まる前に
2022 神戸国際フルートコンクール
音楽が始まる前の小さな随想
[呼吸と鼓動に生きて奏でる]
人は、誰に教えられたわけでもないのに、大きな決断の前には、胸の奥まで深呼吸がしたくなるという。
確かに大らかな呼吸をすることで、大事の前の興奮しすぎた身も心も、沈着冷静を取り戻す。
人の心臓の鼓動は、止まると大変なので人が調整できなくしてある。けれども肺の呼吸は、浅い深い速い遅い、その人の想うままだ。だから深呼吸は「生命に近い行為」だ。その深呼吸の根源の「吸う・吹く」に、1本の管が出会い楽器の音になる。これが管楽器。笛やラッパの仲間だ。声に次いで人に近い楽器だ。なかでも際立って精緻な機能性と、あふれ出る抒情性を併せ持つのが現代のフルートだ。しかも、ここ数年で現代フルートの機能と、奏者の演奏技術の加速度的上昇など、現代フルート界は奇蹟の連鎖を観るようだ。同じく、神戸のコンクールの果たした役割は、想像より遥かに大きい。
[詩と音楽と歴史と]
万能に近い楽器、現代フルートの演奏技術を競う、世界規模のコンクールが神戸で開かれていることは素晴らしい…そして相応しい。
我々も1100年前の昔へと遡れば、神戸は、いよいよ「笛の街」「詩歌の街」と呼ぶべき歴史事実と伝説に包まれてくる。
1184(寿永三)年2月7日。この日、日本を二つに分けるかと思われる激しい戦(いくさ)が、一の谷(神戸市須磨区一の谷町など)神戸全域の各所に繰り広げられていた。夕暮れ時の須磨。源氏の武将・熊谷直実は早暁から、須磨の岸辺まで馬で攻めて来たが、もう冬の陽は地平に近い。ふと彼方の波打ち際に、何か鮮やかな色彩を認める。それは、眼にも彩なる甲冑姿に夕陽を受け、沖合で待つ味方の船まで馬で戻ろうとする平氏の武将だ。熊谷は叫び呼ばわる。「やあやあ、平氏の名も高き武将と観た。敵に背中を見せて戦場を去るとは卑怯千万、何ごとぞっ。返せ戻せーっ」。卑怯と言われては末代までの恥、華麗な甲冑の武将…平清盛の甥っ子にして美貌の少年、平敦盛(17歳)は、馬の首を返して、ざんぶざんぶと岸に向かう。波打ち際で待ち構えた熊谷は、馬を進めて敦盛の間近に迫る。互いに巧みに馬を操りつつ馬上で切り結び、やがては馬を降り、ざんぶと海に飛び込む二人。ほぼ互角に戦うが、熊谷の年季の入った太刀捌きに敦盛は次第に押されてゆく。熊谷の、ここ一番「気合いの太刀」を受け、どうと倒れる敦盛。もはや虫の息。熊谷は、倒れし敦盛を間近に見詰め、時とともに増幅してくる、激しい絶望感と虚無感に包まれていった。自分が、いま斬ったこの若武者(敦盛)は、16歳の我が息子と同じ年頃に相違ない。今は口を利かず冷たくなり行く若武者に、自分の息子がそっくり重なって見える。ふと、その襟から顔を覗かせているもの…は、1本の横笛だった。持ち主が冷たくなるのを知らぬ気に、まだ懐の横笛は、温かい…。「そうか、明け方に風と波に漂うように聴こえて来て、対峙する両軍の将兵が揃いも揃って涙した。あの、あの笛はこれだったのか…」。熊谷は、敦盛の遺骸の前で、ひとしきり号泣してしまった。「いくさは、戦争は、何と愚かで浅はかな、むなしいことか。わしは、このわしは、なんという馬鹿ものか」。熊谷はひとり姿を消し、二度と戦場に現れなかった。その後、僧籍に入り、敦盛の霊を弔うことで生涯を閉じた。笛は現在、神戸の須磨寺にある。
[天才がにせもの作り?]
神戸のような港町なら、昔は見かけた「ニセ・ブランド品」。あれと同じ「コピー商品」をモーツァルトが作っている。旅先でフルート曲の依頼を大量に受けてしまい間に合わない。とっさに妙案が浮かぶのが天才アマデウス。「ちょうど今、手元にオーボエ協奏曲の総譜がある。これをフルート協奏曲に使い回ししよう。バレるもんか」。これが「フルート協奏曲 第2番 ニ長調K.314 」全3楽章…モーツァルト(1656~1791)天才も、するときゃズルするんだ。このズルは、しかしバレたらしく、約束の作曲料は大幅に値切られた。しかし聴けば、これが他に類例のない協奏曲の名作だと解る。ズルしたって天才は天才なのだ。
バラード(バラッド)はマルタンが複数の素材や編成で多作した曲種だが、作者によって捉え方はまちまちだ。本来は文学寄りの用語。日本語では「譚詩」で、詩で綴る物語。フランク・マルタン…(1890~1974)