神戸国際フルートコンクールの思い出
神戸国際フルートコンクールの思い出
第9回神戸国際フルートコンクール名誉審査委員
金 昌国
「金先生!ランパルさんから、審査員を引き受ける」と返事が来ましたよ!と、電話の向こうで、興奮していらっしゃる、町本欣信(当時、神戸市市民文化課の係長)さんの、30数年前のお声が、今でも私の耳の奥底で響きます。
町本さんの、壮大な国際フルートコンクールの構想を、知った私は、「これは巨匠吉田雅夫先生を、引っ張り出さねばならない」と思い、町本さんを、吉田先生のお宅にお連れしましたら、吉田先生は、これまた勇気ある道を、示して下さり、「審査員は、世界チャンピオンの、ランパルさんを始め、各国の第一人者を集めよう。」と各国の巨匠のお名前を次々にお挙げになりました。どうせやるのなら、世界一流の物を目指す、という高い精神の上の決断だったのですね。私は下働きをしようと決心し、吉田先生の下で、町本さんのお手伝いをすることに、喜びを感じていました。
第2回に於いては、無名だったP・アランコとE・パユの2人の名手ぶりに驚かされました。アランコさんは翌々年のミュンヘンで、パユさんはその次の年ジュネーヴで、それぞれ優勝し、神戸の結果の正しさを証明してくれました。手を痛めてしまったアランコさんは近年、教育者の道に進んでいますが、パユさんは今なお、世界チャンピオンとして、大活躍中です。
第4回(1997年)の準備をしていた1995年1月17日に、あの恐ろしく痛ましい、大震災が起こりました。3月に、阪神間の瓦礫の間を、バスを乗り継ぎ、“第4回を中止するか、延期するか”の相談のために、神戸市役所を訪れましたところ、「神戸は、文化都市である。神戸としては、コンクールが、最も大切な文化行事である。国際コンクールは中止もしないし、延期もしない。」……神戸市の方々の想いに、東京への帰途、感動のため、心の中で涙した物でした。