KIFCの始まり
神戸国際フルートコンクールの始まり
元神戸市民文化振興財団理事長 町本欣信
当時(35年程前)神戸市では新たな文化施策として、神戸から世界の楽壇に飛躍を目指す人材の発掘・育成と、音楽を通じて国際都市神戸の知名度の向上、国際交流の推進などを図る事業ができないか模索していました。
その1つが、フルートの国際コンクールだったのです。その主な理由は、フルートは日本人に大変親しまれている楽器で、愛好家人口も多いこと、また当時世界でフルート単独の著名な国際コンクールは数少なく、後発でも国際的に評価され得る可能性があったこと、そして神戸育ちの世界的フルーティスト金昌国氏の存在などです。
そんな折、1985年に神戸市で学生スポーツの祭典「ユニバーシアード」が開催されることになり、文化の祭典でもあるということで実行委員会が組織され、事業内容が検討される中で、実行委員長の妹尾美智子氏(神戸市婦人団体協議会専務理事)から「文化の面でも若い人達が競い合える事業で、将来に残せるものが何かできませんか」との発言を受け、以前から検討を重ねていたフルートコンクールの素案を事務局から提案したのです。
幸いに実行委員会の賛同を得、最終的に宮崎辰雄市長の英断で、国際フルートコンクールの開催が正式決定されたのです。
開催に際しては、吉田雅夫氏(日本フルート協会会長)、金昌国氏(東京藝術大学助教授)、吉田貴壽氏(日本演奏連盟専務理事)のご尽力と、神戸在住の世界的指揮者・朝比奈隆氏をはじめ多くの方々のお力添えを得て、神戸国際フルートコンクールの歴史が始まりました。
(※肩書きは当時のものです)